嫌いな言葉
私は、「がんばれ」と言うのが嫌いだ。
極力使わないようにしている。
「がんばった」結果が必ずしも良い事ばかりではない。
手動式車椅子で「がんばった」結果どうにもならない状況に追い込まれた。
社会の問題で、自分の努力で問題解決できることばかりでない。
しかし、努力を否定するわけではない。
若い人には「がんばって」欲しい。
不当な努力を強制するようなことはあってはならない。
努力したことは、報われる社会であって欲しい。
無責任に「がんばれ」は、使わないようにしている。
親元を離れ、元日の夜中に帰ってきた大学院に行っている長男は、高専時代の同窓会があるとかで、今朝早く出て行った。すっかり生活のペースを乱された。
| 固定リンク
コメント